前回前置きが長くなってしまったので、今回ようやく教育訓練の定義、
「教育訓練=人の能力を高めることで、社会(国・自治体・企業・個人)が抱える課題を解決する活動」
の含意を解説します。
また併せて、定義が想定している範囲と多面性を紹介します。
1 教育ではなく教育訓練を定義するのは、教育というと教育基本法に基づく教育と誤解される可能性があり、学校教育や職業訓練などを網羅する定義をしたいという意図からです。
2 「人の能力を高めることで」は、知識だけでなく、実際の場面で「できる」ことが増えることを意味しています。また、「~ことで」は、意図の存在を示します。
3 「社会(国、自治体、企業、個人)が抱える課題を解決する活動」は、教える側の意図を表しています。教育基本法や職業能力開発法を見れば、教育や職業訓練に意図があることは明らかです。ただしその意図は、教える側を起点とするのではなく、教わる側を起点とする定義としています。
4 課題を抱えている主体を社会としていますが、具体的には教育訓練を受ける個人と、個人を教育訓練に送り出す者です。個人を教育訓練に送り出すのは、個人にもっとも近しい存在としては保護者であり、個人が教育訓練を終了した後に受け入れることになる企業、個人が生活している自治体や国等です。そうした社会が、社会あるいは教育訓練を受ける個人に潜在している課題や顕在化している課題の解決を期して、個人を教育訓練に送り出します。あるいは、個人が自身で課題を見いだし、その課題の解決に向けて教育訓練に対峙します。
5 最後に、教育訓練は、単に教育を受ける者の能力を高める活動なのではなく、課題を解決する活動であると定義しています。
さて次に、この定義が網羅する教育訓練の範囲と多面性を紹介します。
この定義は、学校教育、職業訓練のいずれも範囲として網羅しています。学校教育の場合は教育基本法により「人格の完成」、学校教育法により人格の完成を目的としたそれぞれの学校種の目標への到達、個別の学校が掲げる目標への到達を課題として、能力を高める活動が行われます。
職業訓練の場合は、職業の安定と労働者の地位の向上を課題として、能力を高める活動が行われます。
たとえば数学の関数や方程式など同じ内容であっても、学校教育と職業訓練では異なる課題の解決を目指すことになるなら、教え方も変わることになります。
例えば方程式についてもどのような課題に対応する教育訓練なのかによって、教え方は変わってきます。
学校教育で、人格の完成を目指している場合の教え方、上位の学校への進学に必要な入試への合格を目指している場合の教え方
職業訓練で、ある職業のある場面に適用できるようになることを目指す教え方、資格試験に合格するための教え方
などが考えられます。
例えば塾の場合は、上位の学校への合格、学校の授業についていく、などが解決すべき課題になるかもしれません。
稽古ごとや、カルチャースクール、スポーツなどの場合は、興味・好奇心を満足させる、生活を豊かにする、向上心を満足させる、といったことが解決すべき課題になるかもしれません。
このように上記の教育訓練の定義は、学校、職業訓練、塾、稽古ごとなど広範な場面での、人格の完成、職業の安定と地位の向上、内面的な満足などの多面的な場面を網羅する定義となっているのです。
この場合、どの教育訓練が正しいとか、優れているということではありません。
教育訓練の種類や個々の実践により、解決すべき課題が異なるから、教え方が変わることは当然なのです。当事者である教わる者(と教わる者の周囲で教わる者を教育訓練に送り出す者)が、それぞれの課題を解決できたと納得できる教育訓練が、良い教育訓練なのです。
次回は、教育訓練を定義する意味をおさらいします。
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「教育訓練=人の能力を高めることで、社会(国・自治体・企業・個人)が抱える課題を解決する活動」
の含意を解説します。
また併せて、定義が想定している範囲と多面性を紹介します。
1 教育ではなく教育訓練を定義するのは、教育というと教育基本法に基づく教育と誤解される可能性があり、学校教育や職業訓練などを網羅する定義をしたいという意図からです。
2 「人の能力を高めることで」は、知識だけでなく、実際の場面で「できる」ことが増えることを意味しています。また、「~ことで」は、意図の存在を示します。
3 「社会(国、自治体、企業、個人)が抱える課題を解決する活動」は、教える側の意図を表しています。教育基本法や職業能力開発法を見れば、教育や職業訓練に意図があることは明らかです。ただしその意図は、教える側を起点とするのではなく、教わる側を起点とする定義としています。
4 課題を抱えている主体を社会としていますが、具体的には教育訓練を受ける個人と、個人を教育訓練に送り出す者です。個人を教育訓練に送り出すのは、個人にもっとも近しい存在としては保護者であり、個人が教育訓練を終了した後に受け入れることになる企業、個人が生活している自治体や国等です。そうした社会が、社会あるいは教育訓練を受ける個人に潜在している課題や顕在化している課題の解決を期して、個人を教育訓練に送り出します。あるいは、個人が自身で課題を見いだし、その課題の解決に向けて教育訓練に対峙します。
5 最後に、教育訓練は、単に教育を受ける者の能力を高める活動なのではなく、課題を解決する活動であると定義しています。
さて次に、この定義が網羅する教育訓練の範囲と多面性を紹介します。
この定義は、学校教育、職業訓練のいずれも範囲として網羅しています。学校教育の場合は教育基本法により「人格の完成」、学校教育法により人格の完成を目的としたそれぞれの学校種の目標への到達、個別の学校が掲げる目標への到達を課題として、能力を高める活動が行われます。
職業訓練の場合は、職業の安定と労働者の地位の向上を課題として、能力を高める活動が行われます。
たとえば数学の関数や方程式など同じ内容であっても、学校教育と職業訓練では異なる課題の解決を目指すことになるなら、教え方も変わることになります。
例えば方程式についてもどのような課題に対応する教育訓練なのかによって、教え方は変わってきます。
学校教育で、人格の完成を目指している場合の教え方、上位の学校への進学に必要な入試への合格を目指している場合の教え方
職業訓練で、ある職業のある場面に適用できるようになることを目指す教え方、資格試験に合格するための教え方
などが考えられます。
例えば塾の場合は、上位の学校への合格、学校の授業についていく、などが解決すべき課題になるかもしれません。
稽古ごとや、カルチャースクール、スポーツなどの場合は、興味・好奇心を満足させる、生活を豊かにする、向上心を満足させる、といったことが解決すべき課題になるかもしれません。
このように上記の教育訓練の定義は、学校、職業訓練、塾、稽古ごとなど広範な場面での、人格の完成、職業の安定と地位の向上、内面的な満足などの多面的な場面を網羅する定義となっているのです。
この場合、どの教育訓練が正しいとか、優れているということではありません。
教育訓練の種類や個々の実践により、解決すべき課題が異なるから、教え方が変わることは当然なのです。当事者である教わる者(と教わる者の周囲で教わる者を教育訓練に送り出す者)が、それぞれの課題を解決できたと納得できる教育訓練が、良い教育訓練なのです。
次回は、教育訓練を定義する意味をおさらいします。
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