新井吾朗 職業能力開発研究室

職業能力形成をめざす一人ひとりの努力が報われる環境の構築をめざして

教育訓練論(4) 1. 教育訓練、教育、職業訓練とは何か (3)教育訓練の定義の解説 (2)定義のつづきと、定義の範囲、多面性の網羅

前回前置きが長くなってしまったので、今回ようやく教育訓練の定義、
「教育訓練=人の能力を高めることで、社会(国・自治体・企業・個人)が抱える課題を解決する活動」
の含意を解説します。
また併せて、定義が想定している範囲と多面性を紹介します。

1 教育ではなく教育訓練を定義するのは、教育というと教育基本法に基づく教育と誤解される可能性があり、学校教育や職業訓練などを網羅する定義をしたいという意図からです。
2 「人の能力を高めることで」は、知識だけでなく、実際の場面で「できる」ことが増えることを意味しています。また、「~ことで」は、意図の存在を示します。
3 「社会(国、自治体、企業、個人)が抱える課題を解決する活動」は、教える側の意図を表しています。教育基本法や職業能力開発法を見れば、教育や職業訓練に意図があることは明らかです。ただしその意図は、教える側を起点とするのではなく、教わる側を起点とする定義としています。
4 課題を抱えている主体を社会としていますが、具体的には教育訓練を受ける個人と、個人を教育訓練に送り出す者です。個人を教育訓練に送り出すのは、個人にもっとも近しい存在としては保護者であり、個人が教育訓練を終了した後に受け入れることになる企業、個人が生活している自治体や国等です。そうした社会が、社会あるいは教育訓練を受ける個人に潜在している課題や顕在化している課題の解決を期して、個人を教育訓練に送り出します。あるいは、個人が自身で課題を見いだし、その課題の解決に向けて教育訓練に対峙します。
5 最後に、教育訓練は、単に教育を受ける者の能力を高める活動なのではなく、課題を解決する活動であると定義しています。

さて次に、この定義が網羅する教育訓練の範囲と多面性を紹介します。
この定義は、学校教育、職業訓練のいずれも範囲として網羅しています。学校教育の場合は教育基本法により「人格の完成」、学校教育法により人格の完成を目的としたそれぞれの学校種の目標への到達、個別の学校が掲げる目標への到達を課題として、能力を高める活動が行われます。
職業訓練の場合は、職業の安定と労働者の地位の向上を課題として、能力を高める活動が行われます。
たとえば数学の関数や方程式など同じ内容であっても、学校教育と職業訓練では異なる課題の解決を目指すことになるなら、教え方も変わることになります。
例えば方程式についてもどのような課題に対応する教育訓練なのかによって、教え方は変わってきます。
学校教育で、人格の完成を目指している場合の教え方、上位の学校への進学に必要な入試への合格を目指している場合の教え方
職業訓練で、ある職業のある場面に適用できるようになることを目指す教え方、資格試験に合格するための教え方
などが考えられます。

例えば塾の場合は、上位の学校への合格、学校の授業についていく、などが解決すべき課題になるかもしれません。
稽古ごとや、カルチャースクール、スポーツなどの場合は、興味・好奇心を満足させる、生活を豊かにする、向上心を満足させる、といったことが解決すべき課題になるかもしれません。

このように上記の教育訓練の定義は、学校、職業訓練、塾、稽古ごとなど広範な場面での、人格の完成、職業の安定と地位の向上、内面的な満足などの多面的な場面を網羅する定義となっているのです。

この場合、どの教育訓練が正しいとか、優れているということではありません。
教育訓練の種類や個々の実践により、解決すべき課題が異なるから、教え方が変わることは当然なのです。当事者である教わる者(と教わる者の周囲で教わる者を教育訓練に送り出す者)が、それぞれの課題を解決できたと納得できる教育訓練が、良い教育訓練なのです。

次回は、教育訓練を定義する意味をおさらいします。

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教育訓練論(3) 1. 教育訓練、教育、職業訓練とは何か (3)教育訓練の定義の解説

今回は、前回紹介した教育訓練の定義、
「教育訓練=人の能力を高めることで、社会(国・自治体・企業・個人)が抱える課題を解決する活動」の含意を解説します。

実は、広辞苑による「教育」の説明が、もっとも広範で多面的な場面を網羅しているように思います。
広辞苑の「教育」は、版を重ねる毎に変化しているので、そこから解説をはじめます。

第4版(1991.11.15)
・教え育てること
・人を教えて知能をつけること
・人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動


第6版(2009.1.21)
・教え育てること
・望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動

第7版(2018.1.12)
・知識を与え、個
人の能力を伸ばすこと

第4版の広辞苑の教育を見ると、抽象度が3段階で表現されています。
もっとも抽象度が高いのが「教え育てること」で、もっとも抽象度が低く具体的なのが「人間に他から~価値を実現する活動」です。
同じ活動を指しているのですが、じょじょに説明を具体的にしています。

この定義で重要な要素は3つあります。
その一つ目は、教育に関係する当事者には教える立場と教わる立場があり、教育は”教える側の活動”であることです。
二つ目は、教える側が”意図”を持っていることです。
三つ目は、教わる側が”変化”することです。

第6版では、教える側の意図の内容が変化します。第4版では、望ましい姿に変化させる「意図」でしたが、第6版では学習過程への働きかけを「意図」的に行う意味になりました。
第7版では、「知識を与え」るという教える立場の存在と、教わる側が変化するという要素は残りましたが、それに対する教える側の意図の存在は削除されました。
つまり広辞苑の「教育」の変化は、「教える側の意図」の排除の過程だったことがわかります。

この背景には、日本の教育分野における教育する側の意図に対する否定的な考えがあるように思われます。我々の今の姿が、だれかが私をこうしようと意図した教育の結果である、と考えるのは、あまり気持ちの良いものではないですね。
例えば現代学校教育大辞典(1993)では、「教育とは、先立つ世代が新しく生まれてくる世代に、保護的、指導的、および陶冶的に影響を与えて、その社会的同化を図る作用を言う」と定義しています。親世代に反発する人や、新たな価値観に基づく社会を作りたいと考える人たちにとっては、社会的同化を嫌悪する人もいるかもしれません。
こうした教える側の意図に対する否定的な考えが、教育の定義から「教える側の意図」を削除してきている背景なのではないかと推測しています。

他方で、広辞苑の「教育」における「教える側の意図」の扱いの変化は、逆に、教える側の意図の存在を感じさせます。「社会的な同化」よりは穏当な表現ですが、例えば教育基本法では教育の目的を「人格の完成」としています。職業能力開発促進法では職業訓練と職業能力検定によって職業の安定と労働者の地位の向上をはかることを法の目的としています。
教える側の意図が存在するにもかかわらずそれを目立たなくすることは、教育の現実を曖昧にするものではないかと思います。教育する側の意図が適切であることが前提にはなりますが、意図を明確にしないことは、良い教育の目安がなくなることで、どんな教育でもOKになってしまいます。

さて、前置きが長くなってしまいました。
次回、本題の教育訓練の定義の含意を解説します。

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教育訓練論(2) 1. 教育訓練、教育、職業訓練とは何か (2)教育訓練、教育、訓練の定義

今回はいよいよ、教育訓練の定義を紹介します。
その前に、まず、教育訓練、教育、訓練は使い分けなければいけない語なので、使い分けを紹介します。
教育:日本の教育基本法の中で教育として行われる活動です
訓練:日本の職業能力開発促進法の中で職業訓練として行われる活動です
教育訓練:一般に学校教育と職業訓練を包括した行政用語として使われます。さらにここでは、例えば塾や習いごと、カルチャースクールやアマチュアスポーツのコーチングなども含む、教える側と教わる側が存在する場面での活動です。

日本では、教育は教育基本法、訓練は職業能力開発促進法で、異なる方向性で定義されますが、ここで定義するのはそれらを包含する教育訓練です。
教育訓練を定義する理由は、教育、訓練、いずれの技術を考える時も適用できるからです。

さて本題の教育訓練ですが、次のように定義します。

「教育訓練=人の能力を高めることで、社会(国・自治体・企業・個人)が抱える課題を解決する活動」

私はこの定義が、広い範囲の多面的な活動を網羅しており、さらに、その範囲・多面性を想像しやすい定義になっていると考えています。
(「教育訓練論」を読まれて、別の捉え方があるよと思われる方がいたら、ぜひお知らせください。)

次回、この定義の含意を解説します。

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教育訓練論(1) 1. 教育訓練、教育、職業訓練とは何か (1)なぜ、「それって、何」を考える必要があるのか

第1回は、教育訓練、教育、職業訓練とは何か、という、そもそも論です。

授業の具体的な技術を手っ取り早く学習したいひとにとっては、こういったそもそも論は敬遠されがちですが、実は、技術を強力に規定します。
例えば、「あなたにとって車とは何ですか」と大勢の人に聞いて見ると、さまざまな答えが出てくるでしょう。
例えば次のような答えが考えられます。
・動力と車輪を組み合わせて軌道の制限無く人の移動や荷物の運搬を人の能力以上に行う道具、
・生活の中で必要になる人と荷物の移動手段、
・山河の間の道路を気持ちよく駆け抜ける道具のひとつ、
・4つの車輪を地面に接地させ、エンジンを動力として、定められた道を、可能な限り高速で移動する競技の道具
ある答えを持っている人にとって、他の答えは想像もつかないかもしれませんが、それぞれの人に、それぞれの答えはとても重要です。
世の中には多くの種類の車があり、どの車が良い車なのか、どの車を購入すべきなのかは、この答えに左右されるからです。
つまり、それが何かの定義は、現実の物の姿を強力に規定するのです。

教育訓練、教育、訓練とは何かを考える必要があるのも同じ理由です。
定義によって、良い教育、の具体的な姿は変わってきます。

そこで、私が考える「教育訓練、教育、訓練とは何か」を、次回ご紹介します。

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教育訓練論(0) はじめに

私は職業能力開発総合大学校の各種職業訓練指導員養成課程で、将来の職業訓練指導員になる方や現役の職業訓練指導員に対する職業訓練の技術についての授業を担当しています。
その中で、教育訓練に対するいくつかの基本的な認識を話した後に、職業訓練の各種の技術を解説しています。
そうした授業を受講された方から、「実務に戻った後に、授業の中での話の内容を確認したいので、授業のビデオや講義資料などをweb上で公開してほしい」という要望が寄せられることがありました。
このブログのカテゴリ「教育訓練論」では、そういった方に向けて、私が授業で話している、職業訓練の各種の技術と、それを規定する教育訓練に対する各種の基本的な認識について、参考になる話を掲載しようと思います。

なお、教育訓練の技術としてさまざまな技術群が提案されています。
TWI 
PROTS
ID
ISD
などです。
上記の技術はいずれも、教育訓練を 分析→設計→開発→実施→評価 する一連の過程を技術化しています。
また、この一連の過程の各段階を技術化したものも多数存在します。
例えば実施の場面における動機づけの方法としてケラーのARCSモデル、設計開発段階の考え方あるいは日常活動での学習の説明としてのコルブの経験学習モデル、設計段階の目標記述の方法としてブルームのタキソノミー、評価の考え方としてカークパトリックの4/5段階などです。

本教育訓練論ではこうした技術群を背景に、それらを具体的な授業計画に適用する道筋として整理した技術を紹介します。

とくに、(1)教育訓練の内容を社会の中で活用することが受講者と実施者の間で一定程度自覚されている教育訓練を念頭に置きます。
具体的には、学校教育における職業教育、大学における専門教育、職業訓練、企業内教育などです。
他方で、(2)教育内容とは別にカリキュラムに現れない教育として人間性、社会性、習慣などの育成も含まれるような教育訓練には向きません。ただ、(3)人間性、社会性、習慣などを育成し教育訓練の成果としてそれらを評価することが意図されるような教育訓練には適用できるものと認識しています。
学校教育の普通教育、一般教育、教養教育などに適用できるかは、その取り組みの指向によると考えています。平成29~31年に改定されている学習指導要領、大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準に沿って行う教育訓練は、上記の(1)、(3)にあたると思われます。
教育訓練論は職業訓練の話で学校教育とは関係ないのね、と、単純には考えないでください。
適用できるか/できないか、適用すべきか/すべきでないかは、学校教育と職業訓練という制度上の区分ではなく、その本質的な目的、目標から検討していただくのが良いと思います。

なお、
教育訓練論が目指しているのは、
「学習者の職業能力を形成する努力が報われる
 教育訓練環境の構築」
です。

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プロフィール

職業能力開発総合大学校
能力開発応用系 准教授
博士(教育) 新井吾朗

職業訓練指導員養成課程で職業力開発技術の普及を担当しています。
また、職業資格と職業能力開発の技術を研究しています。もともと、別分野の研究のつもりでしたが、近年は職業資格の日本的な特徴が、日本での職業能力開発の技術の適用状況を曖昧にしているという考えに至っています。

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